本質を見た
イタリアでは路上駐車が多く、彼と私の車も家の横にある小さな路地に停めている(車1台しか通らない)。
彼ママを夕方車で送っていく際、彼が車を出そうとすると、ドアミラーで後ろの方から赤い車が来るのが見えた。
勿論彼は見ている(普段の確認は欠かさない)と思っていたら、エンジンを掛けすぐに出てしまい、私が「危ない!」と行ったので停車したが、危ういところでぶつかりそうになった。
正確にはぶつかったのだが、、お互いのドアミラーがかすれた程度だった。
言わなかったら思いっきりぶつかっていただろう。
ドアミラー動詞がかすれた程度だったので、勿論傷も付かないし、相手も降りてくる気配もなかった。
その間私は「車が来ているのに見なかったの!?危ないじゃない!」と言ってしまったものだから、さあ大変。
前後確認しなかったということで普通はしょげるはず。。
彼は違う。
「相手の肩を持つのか」とこうだ。
見てもいなかったくせに、相手はスピードを出していたのなんの。。
「それに相手の前で俺の不利になるようなことを言うのか」
「自分だったらMimiを全力で防御するのに、Mimiはしないんだ」
私は間違っていたら間違っているというし、間違っているのに嘘は言えない。
私は正直に生きてきたし、これからもそうでありたいと思う。
でも彼は身内以外はまるで存在していないかのよう。。
”見も知らずの相手などしったことはない”という感じなのだろう。
本当にショックだった。
彼は彼で私が馬鹿正直に自分の不利を他人の前で(車のガラスが閉まっていたので聞こえていないとは思う)堂々と言っていたことに対して腹を立てており、こんなパートナーはいらない!とまでのたまった。
お互いの考え方が全く違う。。これは分かっていたことなんだけど、新たに知らしめられた感じでガッカリした。。
結局彼も腹を立ててしまったので、もう今後は自分の車で一人で行け!ということになり、警察に仮免許をもらいに行くのも、送ってはもらったが、警察署には一人で出向いた。
こんなだから相手のことを思いやって、、、なんて夢の夢かもしれない。